火砕流と福浦トンネル

島後の重栖湾中央にある切り立った海岸には古い大小のトンネルがあります。
明治時代から昭和にかけて掘られたこのトンネルは交通手段と土木技術の発達の過程を私たちに教えてくれます。交通手段が船や徒歩であった時代、人々は安全を確保するために人が一人通れるだけの小さなトンネルをハンマーとノミを使って掘りました。その後、交通が牛や馬になると、馬車が通れるだけのトンネルを火薬を用いて掘りました。さらに交通が自動車になると、バスを通すために今度は重機を用いてトンネルを広げました。

この福浦トンネルでは、こうした私たち人の営みの移り変わりと、土木技術の推移を関連付けて見ることが出来ることから国内の土木遺産(土木学会)にも選定されており、三つの時代において掘られたことから、福浦の三代トンネルともよばれています。
また、この場所が約600万年前の火砕流によってできた柔らかい崖だったことは、人力でトンネルを掘ることができた理由のひとつとなっているのと同時に、私たちに火砕流の内部を観察できる貴重な場所を提供しています。