天佐志比古命神社(一宮神社)

縁起書によると「人皇三十二代用明天皇(ようめいてんのう)の時、新府利南海中之島(なかのしま)に示現しここに坐す事五十九年、次いで人皇三十七代孝徳天皇白雉(はくち)四年八月、新府利東浜詰岩石の上に揚り給う云々」(要約)とあります。
知夫郡由良郷(和名抄)の先住者によって祀られた神で、続日本紀(797 年)に「承和十五年二月己酉奉授隠岐国天佐志比古神従五位以下」、延喜式には知夫郡七座の内の小社「天佐志比古神社」、国内神名帳には「従一位天佐志比古大名神」とあります。
中世の事は明らかではありませんが、近世に入って元禄十六年「島前村々神名記」には「天佐志比古命神社 大己貴命別号 知夫村一宮大明神」とあり、諸書全て「一宮大明神」と記載されていて、島前地区に式内大社由良比女社が一宮であるので天佐志比古命神社は知夫村の一宮だと考えられます。
縁起書にもある通り始めは仁夫里(新府利)の地に鎮座されていましたが、万治二年(1659年)に現在の地に奉移しました。棟札にも「万治二癸 亥十月吉日」とあります。