姫宮神社

創建など詳細は不明ですが、元禄十六年(1703)「島前村々神名記(どうぜんむらむらしんめいき)」に姫宮大明神・倭姫命とあり、天保四年(1833年)「隠州風土記(いんしゅうふどき)」にも同様に記載されています。神名記(西郷梅之舎本)によると従四位姫宮大明神・倭姫命或(豊玉姫 玉依姫)とあります。社伝によると、お乳を授ける霊験ありといわれています。
豊玉姫(とよたまひめ)と玉依姫(たまよりひめ)は海の神である綿津見(わたつみ)の娘で、玉依姫は邇邇芸命(ににぎのみこと・天照大神の孫)と木花咲耶姫(このはなさくやひめ・大山祗の子)との間に生まれた火遠理命(ほおりのみこと・山幸彦)と結婚し鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を産みます。
神社周辺には縄文遺跡や古墳時代の横穴墓があり、他の二島にも利便性の良い島前の内海に面した地域であることから古くからの人の営みがあったことがうかがえます。横穴墓(よこあなぼ)の副葬品には大和式の土器もあり、首長の強い権力と幅広い交流があったことが想像できます。