北前船

江戸時代の半ばから明治30年頃まで、隠岐は北前船の寄港地として栄えました。北前船とは、大阪と北海道を結び、それぞれの寄港地で古着・米・魚介類などの商品を売買しながら日本海を往復していた船です。はじめのうちは帆が弱かったため、日本海沿岸を小刻みに帆走していましたが、1780年代に繊維技術が発達し丈夫な帆が開発されると、下関-隠岐-佐渡という沖乗りルートがうまれ年間2往復が可能となりました。
隠岐の各港は風待ちや物資の補給基地として利用され、多い年では年間4,500隻もの船が停泊し賑わいました。また、北前船は商品だけではなく、全国各地の情報や文化も隠岐へもたらしました。なかでも新潟県の盆歌が元歌となっている「隠岐しげさ節」や、荷物の積み下ろしの時に歌われたとされる「どっさり節」は、隠岐民謡の代表格として現在まで歌い継がれています。