隠岐騒動

幕末の動乱期、隠岐でも尊皇攘夷運動が高まり、慶応4年(1868年)に島民3,000人が決起して松江藩の役人らを追放した「隠岐騒動」が起こりました。当時、隠岐は天領であり松江藩預かりとなっていましたが、役人の追放により自治政府を樹立した世界にも稀に見る出来事でした。隠岐出身の儒学者中沼了三の思想的影響をはじめ、飢饉による物価高騰や、度重なる外国船の出没などからくる世情不安が大きな要因となっています。
島民らは武装決起をしたものの、武力ではなく書面の提出と議論によって役人たちを追い出し、餞別に酒や米を贈るという優しい革命でもありました。松江藩の反撃にあい、自治国家の樹立はわずか80日間で幕を閉じましたが、立法府である会議所、内閣・行政府である総会所、司法府である目付役を置き、明治政府に先取りした三権分立の制度を取り入れた近代的な政治システムは地方自治の先がけでもありました。