牧畑

知夫里島の赤ハゲ山や西ノ島の鬼舞などで見られる石垣(みょうがき)は、「牧畑(まきはた)」とよばれる農業における畑の境界線でした。1960年代後半まで営まれていたこの隠岐独自の農法は、土地を石垣で区切り、4年サイクルで放牧、アワ・ヒエ、大豆、麦などを順番に栽培するというものです。牛や馬を放牧することで、排泄される糞尿が土地の栄養を回復させ、再び作物を栽培できるという効果がありました。
牧畑農法が誕生した背景には、島前が火山活動によって形成されたカルデラ地形であることが挙げられます。平地が少なく、表土が薄く痩せた土地であったため、土地と栄養を効率的に使えるように編み出されました。カルデラの島だからこそ生まれたこの農法は、国内の他地域ではあまり見られないものの、中世ヨーロッパの三圃式農業と非常に似ています。