牛突き

隠岐の牛突きは日本最古の闘牛ともいわれ、1221年に承久の乱で敗れて隠岐にご配流となった後鳥羽上皇が角を突き合わせている子牛を見て喜んだということから、慰めのために始めたのが由来だといわれています。今日では、隠岐の島町でのみ行われており、「本場所」と「観光牛突き」があります。本場所では、負けた牛は負け癖がつくということから次の大会には出られないため、かつて懸賞金が付いていた大会では、勝者が3割、敗者が7割を分け合っていたこともあります。
隠岐の牛突きの特徴として、賭け事の対象としないこと、牛は鼻綱を付けたまま引き綱を操る「綱とり」と人牛一体となって闘うことがあげられます。本番では、勝敗をにぎる綱取りのかけ声に、鋭く削った角で突き合い、巨体をぶつけ合いながらときには1時間にも及ぶ戦いを繰りひろげます。